3日間で心の断捨離ができました

はまにゃんコラム
  1. ホーム
  2. はまにゃんコラム
  3. 3日間で心の断捨離ができました

今回はわたし自身が気がついていなかった気持ちの停滞に気が付くことができて、
部屋の断捨離をしたことで気力が充実し、
同じ意識を共有する仲間と話すことで新たな発見をすることができました。

という3日間のお話しをしたいと思います。

3日前にとあるご縁がある方から陶芸家の市川透氏の作陶展のお話しを伺い出かけました。

国際情勢分析専門家・社会活動家・新エネルギー研究家という肩書きを持たれるジェイ・エピセンター氏の講演会でお会いした方とのご縁でしたので、もしかしたらジェイさんが来場されるかも?というのは伺っていましたが、個展会場で鑑賞していたら、びっくりするようなかたがどんどん集まってこられました。

集まってこられた方々は各分野の第一人者といわれる方達でした。
ご自身の分野ではプロフェッショナルなことは存じ上げていましたが、芸術に関しても(今回展示の焼き物)とても精通されており、お話しを聞きながら、独特な目線で物事を捉える才能が豊かだからこそ、ご自身の専門分野だけでなく、他の分野に対しても幅広い視野で関連付けて考えることができているのだろうなとお話しを聴きながら感じました。

人はその人と会話したり、存在を感じることでその方のエネルギー(気)を感じたり読んだりすることができると思っています。

とても心地いい柔らかいオーラを感じられる方がたくさん参加されていました。

1本の木だけを見てしまうと、1本の木の幹だったり、枝だったり、葉っぱなどの細かい部分に関心がいってしまうので、森の中でのその木の位置や全体がどうなっているのかなどが認識ができませんが、森全体を見ることで木の位置もわかり、周りの木も見渡せ、森全体も俯瞰して見ることができます。

集まられていたその方たちの印象を例えさせていただくと、1本の木を極めて、さらに、それらの木が集まっている森を俯瞰して見ている人といった例えが合うかな。と思います。

心が広くて清濁合わせ呑むことができる方たちであると思います。

わたしは美しいものを見たり、完成されたデザインを鑑賞したりすることが大好きです。

絵画、陶器、仏像、骨董、インテリアデザイン、装飾品などを鑑賞するために美術展などの展覧会によく足を運んでいましたが、2020年からコロナ禍となり入場規制が始まってからは美術館や美術品を見にいく機会が激減していました。

今回の作陶展の会場で芸術品ともいえる魂のこもった素晴らしい作品を眺めたり、お集まりの方の話しを聞いたりしているうちに、芸術品を鑑賞していた頃の記憶が蘇ってきました。

わたし自身の心を潤わせてくれていた芸術品や美術品を鑑賞する時間が極端に少なくなっていて、長らく遠ざかり、ワクチンの情報を追うことに心が囚われすぎていて、心が乾いてきていたから、このような感情を感じたのかもしれないとハッとしました。

家に帰ってきてから無性に美術書や焼き物の画集を眺めたくなり、見たい!と感じた画集を探して眺めました。

それらの画集を開いたのはかれこれ4年以上経過している画集や本ばかりでした。
眺めているうちにコロナが始まる前の感情や感覚がもどってきて、平和で穏やかな感情になり、心にあかりが灯ったように感じました。

何かに集中するのは悪いことではありませんが、集中しすぎてバランスを欠いていた。

1本の木ばかり念入りに見つめていたということに気がつき、作陶展に行かせていただいたことが自分を見つめ直すきっかけとなりました。

頭で考えたり、あれこれ想像したりしていても空想でしかなく、実際に目で見る、耳で聴く、手で触る、空気感を感じるなどしてみないと体験したことにならないので、五感を使って感じ取った情報とは雲泥の差があると改めて感じました。

物事の判断は実際に行ったり見たりしなければ噂だけでは本質がわからないということだと思います。

わたしは陶芸に関していうと歴史や伝統が大切に育まれている作品には美しさや深さを感じるのですが、現代的で量産的な匂いがする作品には興味を惹かれない感覚がありました。

陶芸作家の市川透氏の資料を事前に拝見していましたが会場で実際に作品を目にする前の印象と実際に目にしたときの印象がものすごく違いました。

芸術作品を言葉で表現するのはとても難しいのですが、出かける前の写真を見たイメージを左脳が判断してダイナミックで力強く古典の殻を破った現代的という言葉が似合う作品なのではないか?わたしの好みとはちょっと違うのかも。と自分で解釈していました。

実際に目にしたら、その印象とは全く異なり、ダイナミックで力強いところはそのままでしたがとても繊細で伝統から離脱しているように見えて、離脱というより解脱という言葉が似合い、自由に表現されているように見えて伝統をしっかり受け継いでいて、市川さんの想いとエネルギー(気)が土に乗り移りなんとも表現し難いエネルギーが感じられる作品ばかりでした。

頭で考えていた左脳の判断と実際にみて五感と直感で感じ取る右脳の判断はここまで違う。と作品を鑑賞して感じました。

作品は備前の土を使って焼いていらっしゃるので備前焼とのことでしたが、わたしの認識している備前焼とは全く異なり、備前の土と使用されている釉薬の鮮やかなカラーに金や銀が混じり、作り手の技と魂が作品の中に入り込んでいて市川さんの作品に圧倒される気を感じました。

小冊子をいただいたので、その冊子に書かれている言葉を少し紹介しますね。

常識というのは、知り得た上で覆してゆくもの。
我々はあらゆる支配から自由になるべきだ。
根源へ帰れ
裁量なる未来の理想は培った
過去の叡智の中にある。

続いて、船瀬俊介氏が寄稿された文章を紹介させていただきます

美醜の狭間の凄み

ー 遂に陶芸は「伝統」を超え、未知の時空へ飛翔する ー

新星、市川透は
陶芸界のピカソであり ゴッホであり ガウディである


・「破壊」「創造」に潜む危険
「破壊」なくして、「創造」なしー。

これは芸術に於いても、定理であろう。
しかし、いうは易く、行うは、難し。
「破壊」の衝動は、「創造」の衝動に、裏打ちされたもので、なければならない。
「創作」へのボルテージが、リビドーが、作者を「破壊」へと、衝き動かすのである。
しかし、ヒトには、生存本能がある。「破壊」は常に「危険」を伴う。
それは、作者自身の存在にも拘わる。危険極まりない行為なのだ。

時に日本社会に於いて、突出は、危険である。
横並びを良しとする農耕社会に於いて、
半歩前に出ることすら許されぬ。
一歩前に出れば、叱声が飛び 二歩前に出れば、石磔が飛ぶ。

陶芸界に話を転じても、それは同じである。
伝統工芸という言葉がある。
昨陶の風景など、まさに伝統そのものの世界である。
そこでは「匠」の技量が、尊崇を集める。
伝統の至技を極めて、卓抜の風趣を醸す。
世の賞賛は、そのような孤峰の技法に集まる。
こうして、伝統工芸は熟成、昇華していく・・・


この後も2ページに渡り船瀬俊介氏の寄稿文が続きます。文章の中に

かの出口王仁三郎の作陶を眼前にした時の驚愕である。
出口王仁三郎はその書画、作陶にも神懸かり的な自由奔放な天才を示した。
その手になる茶器を一目観て、戦慄、わが目を疑った。
それは、もはや茶器でも陶器でもない。
正気と狂気を突き抜けた鮮烈な色彩と造型がそこにあった。


と記され、出口王仁三郎氏と市川透氏の作品に共通して宇宙的な存在感があり、
市川氏の作品群は出口王仁三郎氏を凌駕していると締めくくられていました。

世が世なら天皇になっていたかも知れなかった出口王仁三郎氏の神がかり的な作品が気になったのでちょっと検索してみました。

▲SNSで探した出口王仁三郎氏のオークションの作品
あの時代で写真のような色使いの陶芸を作っていたというのは自分の感性に正直に生きていたかただったのではと想像しました。

9月30日まで市川透氏の作陶展が開催されています。
※鑑賞は無料なのでお近くの方はエネルギーを感じられてみられても♡

会場:阪急メンズ東京 7F B-OWND Gallery
〒100‐8488 東京都千代田区有楽町2-5-1
営業時間:平日 12時~20時、土・日・祝日 11時~20時

市川透氏発信情報 インスタグラムリンク ホームページリンク

我が家に迎え入れました、市川透氏の作品を紹介します

飾っておくだけでは勿体無いので、色々盛り付けて使っていこうと思っています

翌日、普段通りの掃除が終わった後に、(いつもは埃を祓って掃除機をかけて終わります)
無性に部屋の不要なものを断捨離したくなり、使い勝手が悪く気になっていたところから片付けを始めたら収集がつかなくなって、丸一日片付けをすることとなりました。

集中して片付けていたので夜には疲れ果てましたが、わたしの中の滞っていた気持ちがとてもスッキリしました。

心が乱れている時は身の回りの整理が追いつかないので部屋も乱雑になりがちになり、それが原因で部屋の気が滞ることで、気の流れが悪くなることが原因で気分が晴れなかったり、気持ちが充実しないということがあります。

市川透氏の個展でプロフェッショナルな方々からのエネルギーをいただき、彼らの考え方の片鱗を感じ、自分を見直した結果、部屋の掃除をすることで、気持ちの整理ができたのだと思います。

前日に小極ではなく太極を感じることでわたしの中でも太極に近づきたいという思いが現れ、それを無意識が感じ、断捨離という行動に出ることで自分の中の停滞をアラハバいたのだとと自己分析しています。

部屋は散らかっているほうではありませんが、棚の中、引き出しの中は普段、無造作に置いたりしていると本来あるべきところから遠ざかり、使いたい時に見つからない、大掃除をした時に出てくる。ということはみなさんも経験されていると思います。

知らず知らずのうちに乱れていてその乱れに気づかないうちに小さなストレスが溜まり、それを処理するのに時間がかかる。といった感じです。

物も心も一緒で、普段から意識して片付け断捨離し続けることで、合わなくなったもの、古くなったものを新しいものに入れ替える。そうすることで良い気が巡って不具合を起こすことが少なくなるのだと思います。

1日で大分片づきましたが、物の断捨離は道半ばなので、物を断捨離すると心も片付いてくるような気がしています。

掃除の翌日の昨日、コロナ禍で知り合いになった友人、数人(コロナの裏側も知り真実を追求しているメンバー)で集まりました。

その友人達とは同じことに興味を持っている仲間達なので話しが尽きなく話の内容が思わぬ方向に展開していくので時間を忘れランチから三軒はしごし数時間雑談をしました。

昨日の話しの中でのトピックは5人中2人が江頭2:50のファンだったということ。えがちゃん話しで盛り上がっていました。
わたしはえがちゃんの深い部分をよく知らないのでこれから勉強します。笑

その会話のなかで、わたしが澤野大樹さんの話をしたのですが、澤野大樹さんの講演会のブログをアップしてくださっている小野さんのブログを最近読んでいなかったな。と思って読んでみたら昨日雑談した内容とのリンクがとても多かったので、紹介しますね。

この時代だからこそ澤野さんの考察は貴重です。1度読んだだけでは難しいので、他の記事も読まれて、違う方向から考えてみたり、謎解きをしていかれるととても面白いです。
リンク▶️DONT TREAD ON ME

数年前にアップしました澤野さんの本を紹介したブログを再度読み直したら、こちらも新たに気づきを得られる内容を澤野さんと共著の中山さんが語っておられました。こちらもぜひお読みください。六年前の仰天本・瀬織津姫システム・近現代史のタブー

先日投稿したブログですが、covid19戦争が起きることで意識の変化を促し、新たな時代の幕が開くといった内容を紹介させていただきました。

昨日の友人達との会話で、1日前に緊急アップされた同じ動画を視聴していたり、同じようなことを考えていたり、意識が共鳴しているな。と感じることが本当に多くてびっくりしました。
先日投稿のブログ▶️時代の変化の波に乗る宇宙視点


初めて会うのにそんな気がしないとか、心地よいとか、その人のことを知らないはずなのによくわかるとか、デジャブな経験がみなさんあると思います。

逆に、長い期間で相手のことを知っているような気になっていても、実はわかっていなかった。ということも経験ありますよね。

輪廻転生があるのか、ないのかははっきりとはわかりませんが、そのようなシステムが作動しているのは感じています。
わたしは自分が経験したいことを経験するために何らかの使命を受けて生まれてきているという考えを持っています。
そして出会う人は自分のタイミングに合わせて必要があって出会っている。と思っています。

時代の変わり目の今、新たに出会う人はわたしにとってとてもご縁が深かった人達だと思っています。
そんな出会いが2020年頃から多くおこっています。みなさんもきっとそんな経験をされていると思います。

地球ごと何か大きな流れに乗せられていて、流れの渦に巻き込まれ、自分自身は無意識でも、起きていることや起きようとしていることに意識が向くように見えない存在に誘導されている(導かれている)感覚があります。

実際に変化が現実化していく中でそれに気づいて考えたり軌道修正したり、立ち止まったりしながら進んでいくのが良いのかな?と思っています。ちょっと漠然としていて表現が難しいのですが読み取ってくださいませ。

中山さんが本の中で、本当にやるべきことは楽しむこと!と語られています。
自分が楽しいと思っていることをやっていくことで自分の使命が見つかっていくのだと思います。使命と大袈裟に考えなくても好きなことを続けていったり、興味があることをやってみたり、やりたいことにチャレンジしていくことで自分の意識がだんだん導かれていくのだと思います。

この3日間を通してわたしに起きた気づきはさりげないことの連続かも知れませんが、わたしにとっては自分と向き合うことができた大事な3日間でした。

この感覚を忘れないためにこのブログを書きました。

コロナ禍が始まり、考えたこと、気づいたことはわたしの人生にとってとても大きな意味があって、軌道を修正することになりました。

今を生きる。時間は今の連続で今を大切にすることが大事。そのような意識を持つようにしていた筈でしたが、covid19の影響、コロナワクチンの影響に必要以上に囚われ続けてきて、好きだった美しいものを鑑賞したりそれを知ることで心の安らぎが得られていたことを自らが封印していたことに気がつきました。

そして衝動的に部屋の断捨離をしたことで、澱んでしまっていた空間に気が流れ、良い気を運んできて、自分を顧みることができ、それに気がついた翌日に興味があることで集まった友人らと一緒の時間を共有することで、得られる心の喜びを感じることができました。

自分自身の心にスポットライトを当て自分の気持ちに正直になっていくと自分でも気が付かなかった感情を感じたり、進む方向ややりたいことが見つかるきっかけを受け取ることができる。と感じることができてとても有意義な3日間でした。

今後はわたし自身の心が欲することに対して、蓋をしたり封印したりせずに、何を求めているのかを内観し直感を信じて楽しむことをしていきたいと思います。

今回はわたくしごとのブログとなりましたが、何か気づきを受け取っていただけたら嬉しいです。

20日の個展に参加したときは人数が多くじっくり鑑賞することができなかったので24日、再び訪問しじっくり鑑賞☺️
24日もある器と出会い、またまた迎え入れました♡

酒器として使用する目的で購入しました。我が家で収集した酒器の中で一番圧倒的な存在感があります。
この数年、焼き物を鑑賞することからも遠ざかっていたので、今回素敵な器と酒器に出会えたのもご縁。大切に使いたいです♡

24日は市川透氏とゆっくりお話しすることができました。
今回の個展を知ったのはジェイさんの講演会後の懇親会で市川氏の義理のお兄様とお会いしお話しをしたのがきっかけでした。
義理のお兄様に東京で知り合ったこともご縁で、主人の出身地と、市川透氏の現在のお住まいと工房が同じ町内ということも伺いさらにご縁を感じています。
人は色々なタイミングでご縁のある方と出会います。わたし自身、ここ数年の人との出会いにデジャブでミラクルな出会いが多くあります。

ミラクルなご縁をこれからも大切にしていきたいと思っています。